ちょっと気になって調べてみたら、
ありましたよ
戸塚宏氏が発言してました。
「他の生徒が自殺していないなら、自殺した生徒に原因がある」
テレビ朝日に出演して、こんな主旨の発言をしたようです。
「戸塚宏」「体罰」「自殺」などで検索するといくつかヒットしますが、ひとつだけ、URLを示しておきます。
http://blog.livedoor.jp/muchio68/archives/22258566.html
先に書きましたように、体罰そのものの是非については議論しても答えが出ません。
戸塚氏は見事な、彼独特の論理を展開しています。
答えが出ないことを議論しているわけですから、きりがないと言うべきでしょう。
ここは、戸塚氏を論じるのが目的ではありません。
なぜなら、論じても答えが出ないからです。
問題は次のようなことです。
たいていの人が「体罰はいけない」「体罰が原因で自殺が発生するのはとんでもないことで、何があっても是正しなければならない」と考えます。
先に書きましたが、そんな風潮の中で、「でも、体罰は必要だよなあ」とこっそり考える人は、口をつぐんで、語らないのです。
そして、いくら「体罰がいけない」と言っても、ほとぼりが覚めれば体罰が復活するのです。
だから、体罰を議論の場に引っ張りだしてくれるだけで、彼の言動は貴重だと考えるのです。
付け加えておきます。
戸塚宏の後援会長は石原慎太郎氏です。
石原慎太郎氏の発言は下です。
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no46.html
さて、
今回の体罰-自殺事件を受け止めて、「廃校にしてもおかしくない事件で、抜本的解決が必要」と発言する橋本大阪市長と石原慎太郎氏の意見は、どのように調整されるのでしょうか。
さらに、付け加えておきましょう。
もし、戸塚氏の実践で、困った行動が改善される子どもがいなかったら、彼は今日まで、自分の主張にこだわって活動を続けることができたでしょうか?
昭和60年に私は大学で教育について研究していました。
現職教員として大学で研究していたのです。
その研究の一貫として、様々な施設を見学して回り、様々な人に会いました。
戸塚ヨットスクールについては、死亡事故で戸塚氏が掲示被告人になっていた時ですから、さまざまな施設で批判意見が出ました。
そうした時に私が「金儲けでは人は殺せません」「人が死んだということは、そこまで戸塚氏が真剣に取り組んだということの裏返しであって、その真剣さの背景にある理論に踏み込まない限り、議論は進まないでしょう」と発言すると、ほとんどの方が黙り込まれました。
戸塚氏が生徒が死ぬほどの過酷な実践をしなければならないほど、困っている子どもと親がいた。ここから考えるべきでしょう。
その後の話ですが、実刑を務めた後、戸塚氏は確信犯的に同じ実践を続けていると聞きます。
しかし、同時に、子どもが死んだときほどの激しい体罰は無くなっているとも聞きます。
先に書きましたように、人が死なない程度の、上手な体罰が工夫されているのかもしれません。
もう一度繰り返します。
体罰そのものの是非は議論して答えが出るような性質のものではありません。
日本の教育は、法律で以て体罰禁じている。
それだけが、寄って立てる規準なのです。
保護者も、生徒も、その法律によって、教師の体罰から守られているのです。
では、体罰が有効だと考える人、体罰でも良いから支援してほしいと考える保護者のような人は、どうすれば良いのでしょうか。
これも、先に書きました。
互いに納得ずくでそのような指導を試せば良いのです。
試すための土俵を作れば良いのです。
今、その土俵を確信犯的に守っているのは、私が知る限り戸塚宏氏だけです。
後援会長は石原慎太郎氏です。
どうでしょう。
医療、心理、福祉などの専門家が、この取組を検証するプロジェクトを作るというのはいかがなものでしょうか。
さて、次は、私の実践と、その意見です。
ありましたよ
戸塚宏氏が発言してました。
「他の生徒が自殺していないなら、自殺した生徒に原因がある」
テレビ朝日に出演して、こんな主旨の発言をしたようです。
「戸塚宏」「体罰」「自殺」などで検索するといくつかヒットしますが、ひとつだけ、URLを示しておきます。
http://blog.livedoor.jp/muchio68/archives/22258566.html
先に書きましたように、体罰そのものの是非については議論しても答えが出ません。
戸塚氏は見事な、彼独特の論理を展開しています。
答えが出ないことを議論しているわけですから、きりがないと言うべきでしょう。
ここは、戸塚氏を論じるのが目的ではありません。
なぜなら、論じても答えが出ないからです。
問題は次のようなことです。
たいていの人が「体罰はいけない」「体罰が原因で自殺が発生するのはとんでもないことで、何があっても是正しなければならない」と考えます。
先に書きましたが、そんな風潮の中で、「でも、体罰は必要だよなあ」とこっそり考える人は、口をつぐんで、語らないのです。
そして、いくら「体罰がいけない」と言っても、ほとぼりが覚めれば体罰が復活するのです。
だから、体罰を議論の場に引っ張りだしてくれるだけで、彼の言動は貴重だと考えるのです。
付け加えておきます。
戸塚宏の後援会長は石原慎太郎氏です。
石原慎太郎氏の発言は下です。
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no46.html
さて、
今回の体罰-自殺事件を受け止めて、「廃校にしてもおかしくない事件で、抜本的解決が必要」と発言する橋本大阪市長と石原慎太郎氏の意見は、どのように調整されるのでしょうか。
さらに、付け加えておきましょう。
もし、戸塚氏の実践で、困った行動が改善される子どもがいなかったら、彼は今日まで、自分の主張にこだわって活動を続けることができたでしょうか?
昭和60年に私は大学で教育について研究していました。
現職教員として大学で研究していたのです。
その研究の一貫として、様々な施設を見学して回り、様々な人に会いました。
戸塚ヨットスクールについては、死亡事故で戸塚氏が掲示被告人になっていた時ですから、さまざまな施設で批判意見が出ました。
そうした時に私が「金儲けでは人は殺せません」「人が死んだということは、そこまで戸塚氏が真剣に取り組んだということの裏返しであって、その真剣さの背景にある理論に踏み込まない限り、議論は進まないでしょう」と発言すると、ほとんどの方が黙り込まれました。
戸塚氏が生徒が死ぬほどの過酷な実践をしなければならないほど、困っている子どもと親がいた。ここから考えるべきでしょう。
その後の話ですが、実刑を務めた後、戸塚氏は確信犯的に同じ実践を続けていると聞きます。
しかし、同時に、子どもが死んだときほどの激しい体罰は無くなっているとも聞きます。
先に書きましたように、人が死なない程度の、上手な体罰が工夫されているのかもしれません。
もう一度繰り返します。
体罰そのものの是非は議論して答えが出るような性質のものではありません。
日本の教育は、法律で以て体罰禁じている。
それだけが、寄って立てる規準なのです。
保護者も、生徒も、その法律によって、教師の体罰から守られているのです。
では、体罰が有効だと考える人、体罰でも良いから支援してほしいと考える保護者のような人は、どうすれば良いのでしょうか。
これも、先に書きました。
互いに納得ずくでそのような指導を試せば良いのです。
試すための土俵を作れば良いのです。
今、その土俵を確信犯的に守っているのは、私が知る限り戸塚宏氏だけです。
後援会長は石原慎太郎氏です。
どうでしょう。
医療、心理、福祉などの専門家が、この取組を検証するプロジェクトを作るというのはいかがなものでしょうか。
さて、次は、私の実践と、その意見です。