最近京都高島屋グランドホール出入り口付近に撮影可能エリアを見かけるようになりました。
というわけで、入江明日香展入口付近で撮影した絵を披露します。
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DSCN7470w500 posted by (C)Koschei

問題は、ここからです。
もう少し同じ条件で撮影した写真を披露します。
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DSCN7469w500 posted by (C)Koschei

ブログに貼り付けるように編集した小さなサイズの写真ですが、元の大きな写真は、かなり細部を見ることができます。
そして、細部をみるまでもなく緻密に彩色されています。

そこで考えました。

発想した絵を細かく描いて綿密に彩色するのは、作品が大きくなるとどんどん難しくなります。
作者の優れた表現力を感じます。

ただ、このような、近寄っても筆遣いや材料がわからないような仕上げは、オリジナルを見る喜びが小さいような気がします。

つまり、オリジナル作品の展示されている会場の作品を撮影しなくても、会場外に展示されている作品を撮影するだけで、かなり良い写真が撮れるような気がします。

言い換えれば、オリジナル作品と印刷媒体や電子媒体を通じた画像の差が小さいと思うのです。

多分絵は、緻密に描かれれば描かれるほど、そしてそれが精密に再現さればされるほど、オリジナルと媒体による複製の違いが小さくなるはずです。

媒体はカタカナ語で書きますとメディアです。
漫画やイラストレーションは、このようなメディアを介することを前提にした作品です。

そこで、次のようなことを考えるのです。
メディアを介する場合とオリジナルを見る場合で極端に異なる場合は、いかがなものでしょうか。

以前私は、そんな例をブログに書いたことがありますのでその記事にリンクを張っておきます。

ところで、この緻密な下書きと精密な着色から筆遣いを生かす大胆な表現については、前者から後者へと発展するという学説があります。
もちろん情報化時代の現代にそのような法則が当てはまるとは考えにくいのですが、かつての西洋美術史では、そのような流れが見られるという学説です。

このような学説を提起したのがベルフリン。

ベルフリンは、厳密な下書きに緻密に着色された絵画を線的絵画(ラインニッシュ)、大胆な筆遣いで空気や動きを描こうとする絵画を絵画的絵画(マーレリッシュMalerisch)と呼び、絵画は、時代と共に前者から後者へと発展すると主張したのです。

この分類による緻密な下書きから着色に至る厳密な手順による作品と逆に下書き無しにいきなり絵の具で描く絵の例についても、別に書きましたのでリンクを張っておきます。

その後
現代絵画について

後にベルフリン学説を現代絵画に当てはめたのがグリーンバーグです。

グリーンバーグの考え方を私なりに解釈すれば、モンドリアンの絵は、緻密な下描きの上に着色されているように思えます。
これに対してポロックやデ・クーニングの絵は、直接絵の具を使って画面を作っているように見えます。
多分、直接描きながらちょうど良い表現を求めるのに、下書きをする以上の表現力が求められると考えられたのではないでしょうか。

デッサンの受験勉強を思い出します。
「物の形に輪郭線は、無い」
「だからデッサンで描く時も輪郭線が残っては、いけない」
という指導を受けます。
そんな経験を重ねますと
どうしても輪郭線のある絵が一段低いように感じます。

そんなわけで私の頭には、
ベルフリンやグリーンバーグ学説がこびりついていたようです。

最近
浮世絵や現代のイラストレーションを見る内に
線には線の良さがあって、どちらが優れているかと議論するようなものでないような気がしてきているのです。

入江明日香展を見てそんなことを考えました。