マトリョーシカネタは、私の活動として、そろそろネタ切れ。
同じことを何度も書いても仕方ないし、もう、マトリョーシカネタで動くことは稀になりそうです。
 
というわけで、主な記事へのリンク集を作ってしまおうと思うのです。

このブログで紹介したポールホフスキーマイダンの記事は、私のマトリョーシカネタ最大、最終ネタになるかもしれません。
これが最後になるなら、最初は、別のブログで書いた「お気に入りマトリョーシカ」でした。
私は、かなりの間、マトリョーシカ関係情報を追いかけてブログで披露してきました。
そのスタートになるのが、この「お気に入りマトリョーシカ」でした。

続いて「セルギエフ・パサードのマトリョーシカ」について書きました。
セルギエフ・パサードはモスクワ郊外約70㎞北方にある、ロシア正教の街です。
今日ツアーでも行きやすい街です。
ツアーで行った人も多いかと思います。
少し説明を加えます。

マトリョーシカは、多分1898年にモスクワで誕生したと考えられるのですが、これがヒットしたとき大量生産を引き受けたのがセルギエフ・パサードだったのです。

なぜかといいますと、この歴史がややこしいのですが・・・・
この辺の事情については、「セルギエフ・パサード「ラドネジュ」「ハチコーヴォ」などの記事で紹介しました。

私がマトリョーシカネタに引き込まれたきっかけは、最初のマトリョーシカ誕生のモデルが日本の箱根入れ子人形だという情報を得たことでした。
 
そこで、ロシアのマトリョーシカを紹介する書物を訳しました。
「ルースキー・スヴェニール・マトリョーシカ」です。

この書物は、モスクワでマトリョーシカが誕生してから、セルギエフ・パサード、セミョーノフキーロフ、ポールホフスキー・マイダンなどで作られるようになる歴史も紹介しています。

こんな、マトリョーシカ探訪を重ねる内に、マトリョーシカ博物館を見つけて訪問しました。
この時、マトリョーシカ誕生時参考にされたという箱根入れ子人形の産地を訪問し、今日の作品を買い求め、これをマトリョーシカ博物館に寄贈しました。
また、「ルースキー・スヴェニール・マトリョーシカ」を出版した出版社を訪問して、和訳出版の了解を得たのでした。

というわけで、やっつけ仕事のリンク集でした。